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闘病生活205日、14歳と332日で虹の橋へ渡りました。 7ヶ月弱の闘病は、いろんな疾患が重なりとても過酷なものでした。 情報を求めて辿り付いてくれた方のお役に立ちたいと 始めた闘病記でしたが、今は想い出を綴らせて貰っています^^;
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モエたんの月命日には、3日早いけど・・。

そう言って ラルママちゃんが
お花を贈ってくれました+。:.゚(´- `*)゚.:。+



真ん中のバラに 一目惚れしたらしく
どーしても モエたんに このバラを贈りたかった。って
モエたんに、似合うお花を 選んでくれました。

優しい丸みのある花びらが すごく可愛い^^。全部カワイー^m^




ラルママちゃんを楯に、何かを訴えてる モエたん。2008年の写真です。

モエたんって。
ラルちゃんだけじゃなく
ラルママちゃんも好きだったんだろーなぁー
・・。って思う^m^


そう思えるエピソードが いっぱい。


ありがとう。


拍手[1回]

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去年の5月は
なんだか 大根食べてる写真ばっかりでした^^;


病気をしてから、食べ物の好みも変わって
食べた事のなかった果物や、生大根を
いつも 喜んで食べてくれていました。




チィちゃんも^m^

今じゃ 見向きもしてくれないけど・・。

元々、食への執着が あまり無いコだけど
モエたんが居なくなってから、食べ競うこともなくなり
今は、偏食児のよーです。

こーなってみると
チィちゃんも 頑張って食べて見せてたのかなー。
モエたんと 食べ競うことが 楽しかったのかなー。と思う。




今日のお花は こんな感じ。



拍手[2回]

桜の季節も終わり、
つつじが目立つようになってきましたねぇ



つつじって
花の蜜で ベタベタだから
毛深いシーズーたんの 毛に絡むから嫌い…´д` ;


人の記憶って曖昧なもので・・

つつじを見ると 思い出すモエたんの顔。



2008.06。 相変わらず いい顔だー。^^

後ろのお花。ずっと つつじだと思って記憶してました。
違ったんだね。



いい笑顔をくれたモエたんでしたが、
この直後の写真 ↓


チィちゃんに引っ張られながら 耐える顔^m^
足の指まで開いて、耐えてる。笑


モエたんは 本当に表情豊かなコでした^^


拍手[2回]

今年も桜の季節が来て
去年の今頃はー・・って振り返ってたら
また涙スイッチが入りました^^;

闘病記。って 大切な記録だけど 時にツライですね。


去年の今頃は、まだ病院迷子で
お薬も ワタシの独断で飲ませたり 飲ませなかったりと
今思うと 恐ろしいことをしていた日々でした。


アゴ髭の汚ちゃないモエたん^m^

この時は、毎日 野菜や果物のジュースを作って
アゴ髭を汚しながら ウマウマしていました^^

後に。
食事指導を受け、生の野菜は大根&スプラウト以外は
シュウ酸を理由に良くない。と言われ パッタリ止めてしまったんですけど。

モエたんは 安定期があまりなく 次々に病気を発症していったので
何が効いたのか 確証も持てないままでしたけど
毎日、ジュース飲むのが嬉しそうでした。




緑の野菜ジュースでも、赤い野菜の日も。
今迄、見向きもしなかった果物も。
毎日、キッチンまで覗きに来て 嬉しそうに飲んでたなぁー。

・・なんて思うと。
やっぱり 続けてあげれば良かったのかな。って思う…(つω;。)




チィちゃんも。
時々一緒に飲んでたけど モエたんほど好きではなかったようです^^;


チィちゃんは 1月の術前検査の時に、腎臓がグレーゾーンだと分かり
『食べること』が負担となる腎臓なだけに
今から、少しづつ気を付けてあげなきゃなぁー・・と思う反面。

いずれ。何年後かに 食事制限がかかって 療法食になるまでは
好きな物を食べさせてあげたいなぁー。って思ってしまいます。


モエたんは、心臓で。腎臓で。膵炎で。と
3回も 制限のかかった食事が変わりました。
食事指導をしてくれてた院長も、最期は
『これ以上、食事で制限するの可哀想だなぁー・・』って
基本。はあっても、アレも コレも ダメって言わなくなりました。

病態を診ながら、食事を制限していかなきゃいけないのは分かるけど
食べて欲しくても 食べられない日が来るのだから
食べられるうちに 食べさせてあげたい。

散々。食事に制限かけて。
衰弱してきてから 食べられるものは何でもあげていい。って言ってもね…´д` ;


食べさせてあげたい気持ちと、身体のため。と
その線引きが ワタシには難しい・・。



あぁ・・今日のモエたんも可愛いなぁ(〃ω〃)♪


拍手[4回]

1年前。

モエたんが 肺水腫と診断され
後に、誤診疑惑のあった日。

14年間。フィラリアのお薬くらいしか飲んだ事のなかった
モエたんの闘病生活が始まりました。

薬の大嫌いだったワタシが、
最期は あんなに たくさんのお薬で
いっぱいにしてしまいました。


よく・・薬漬け。と言うけれど。
人に言われると ムッとくる。


何も知らないくせに。







丁度、2008年の今日。
大好きなワン友さんの かずのこさんに撮っていただいた写真。

彼女に撮ってもらう 写真の中の我が家は
いつも幸せそうなので 大好きです^^


モエたんの闘病中に迷ったことや、悩んだことも多く
モエたんを亡くしてからの後悔も 数え切れないほどあります。


モエたんが居なくなってから
旅立って逝ったワンちゃんの 最期のお話を聞くたび
モエたんの 最期の時を思い出します。


病院で看取った時は、泣き崩れてしまって
何にも耳に入ってこなかったけど

泣きながら甦生してくれた先生が
自宅で最期の時を迎えさせてあげられなくて 申し訳なかった。と
言ってくれてたそうです。


ワタシは、モエたんの命を、意味なく過信しすぎて来たので
今日が山かも。って言われた後ですら
モエたんが死んでしまう。なんて、最期の瞬間まで思いもしなかった。

こうやって弱ってくんだなぁ・・。
来年の今日はないかもなぁ・・。って
なんとなくでしか 命の終わりを感じてこなかったから

もうダメかも。って
目の前のモエたんを見て 思ったりしなかった。
最期の日も 病院から連れて帰る気。満々だったのにな・・。



最期の日になった朝。
モエたんを お腹の上に乗せて寝ていた時。

このまま寝ていようかなぁ・・。って思った。
疲れて 衰弱しきったモエたんは 弱々しくて
ずっと あのまま抱き締めててあげたかった。

でも病院へ行く時間だと、病院へ向かったのは
普通に まだ明日も明後日もあると思ってたんだろーなぁ・・。


あの時。
あのまま 一緒に寝ていたら お家で看取ってあげられたのに。って思いと、

病院で薬を入れてもらってたから、
最期は苦しまずに 逝けたんだ。って思いと、

薬だけ入れてもらって、自宅に連れ帰れば良かった・・。って思いと。


自分の望む形と
どれが、モエたんのために最良だったのか。

考えても 変えられないんだけど
何度も 何度も 考えてしまう。


小さくなったモエたんが 甦生されてる姿と
あの時の機械音が 目と耳に焼き付いて

いつまで経っても 頭から離れません。





湿っぽくなって ごめんなさいね…´д` ;




2008年だから、モエたん10歳の頃。

今のチィちゃんより、全然、元気だったなぁー。




拍手[6回]

モエたんが・・
チィちゃんが・・・
プロフィール
HN:
モエたん・チィちゃん。
性別:
女性
自己紹介:
モエ


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