闘病生活205日、14歳と332日で虹の橋へ渡りました。
7ヶ月弱の闘病は、いろんな疾患が重なりとても過酷なものでした。
情報を求めて辿り付いてくれた方のお役に立ちたいと 始めた闘病記でしたが、今は想い出を綴らせて貰っています^^;
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9月9日。モエたんを看取った日の夜。
電話やメールでバタバタして やっと 落ち着いたAM2:00頃。
実は モエたんと最期のお散歩に出掛けていました^^;

本当に 寝ているみたいなモエたん。
チィちゃんは、無理にワタシが近付けた訳ではなく
何度も 自ら こうやって側に行っていました。
この日の話は、また別ネタでupさせてください^^; (引っ張るねー)
人って感じ方 イロイロなんだなぁー・・って思ったのが
『これから散歩連れてってあげるんだー』って言ったワタシに
『モエが可哀想・・』って言った人が居て。
母なんですけど^^;
『え?何で?』と分からず訪ねると
歩けないのに、亡き骸だけ連れまわすのが 可哀想だと言うのです。
ほぉー・・そーか。そんなふーに思うか・・。
っと。
母の感想は無視して、連れて行きました。笑

今年の6月27日 近所の病院の帰り道で。
我が家は朝晩のお散歩プラス、涼しく お休みの日は 昼or夕方の散歩もあり
1日3~4回の中で、夜のお散歩は コースが決まっていました。
毎日通る そのコースを いつもと変わらずチィちゃんと3人で歩きました。
当然・・。泣きながら歩くよね^^;
毎日、そこを通るたび、泣けてきます。
でも、この日のお散歩を 思い出して悲しくなる訳ではなく
いつもと変わらない日常に モエたんだけが居ない事が 淋しくて。
モエたんは 短期間で 本当にいっぱい病気を発症しました。
体調の落差が激しく、安定しない日もありましたが
最期の急変した2日間以外は、変わらず毎日お散歩していました。
ウチの近所にね。
キンモクセイの木を 2年前に 思い切り切断してしまった場所があって。
モエたんは、その木の根元で、シーシーするのが好きでした^^
アンヨがビッコを引いて歩けなかった時も
抱っこしながらお散歩に連れ出し その木の側で下ろしてあげると
ヒョコヒョコ その木の根元まで行って シーシーしていたくらい
モエたんのお気に入りの 縄張りでした。
そろそろ季節も変わり始めて、風に乗ってキンモクセイの香りがすると
毎日、通って見ているハズの その場所が より一層 愛おしく感じて
淋しさ 倍増ー(T▽T;)
秋・・って ダメですねぇ^^;

たった 3ヶ月前・・ こんなふーに走ってたのにね。
今日。
チィちゃんとこの場所までお散歩して来ました。
ココの手前までは 良く行くんですけどねぇ。
やっぱり この写真を撮った場所に着くと・・
『たった数週間前まで歩いてたのになぁ・・』って。
モエたんの命は、けして あっけなく終わった訳じゃなく
あんなに壮絶な最期だったのに・・
モエたんが旅立った後の時間の流れ方が
何だか あの頃が一瞬で過ぎていったかのように思えてしまいます。
モエたんが お空に昇っていった公園へは まだ行けません・・(ノ△・。)
月命日にでも、行こうか。チィちゃん。
電話やメールでバタバタして やっと 落ち着いたAM2:00頃。
実は モエたんと最期のお散歩に出掛けていました^^;
本当に 寝ているみたいなモエたん。
チィちゃんは、無理にワタシが近付けた訳ではなく
何度も 自ら こうやって側に行っていました。
この日の話は、また別ネタでupさせてください^^; (引っ張るねー)
人って感じ方 イロイロなんだなぁー・・って思ったのが
『これから散歩連れてってあげるんだー』って言ったワタシに
『モエが可哀想・・』って言った人が居て。
母なんですけど^^;
『え?何で?』と分からず訪ねると
歩けないのに、亡き骸だけ連れまわすのが 可哀想だと言うのです。
ほぉー・・そーか。そんなふーに思うか・・。
っと。
母の感想は無視して、連れて行きました。笑
今年の6月27日 近所の病院の帰り道で。
我が家は朝晩のお散歩プラス、涼しく お休みの日は 昼or夕方の散歩もあり
1日3~4回の中で、夜のお散歩は コースが決まっていました。
毎日通る そのコースを いつもと変わらずチィちゃんと3人で歩きました。
当然・・。泣きながら歩くよね^^;
毎日、そこを通るたび、泣けてきます。
でも、この日のお散歩を 思い出して悲しくなる訳ではなく
いつもと変わらない日常に モエたんだけが居ない事が 淋しくて。
モエたんは 短期間で 本当にいっぱい病気を発症しました。
体調の落差が激しく、安定しない日もありましたが
最期の急変した2日間以外は、変わらず毎日お散歩していました。
ウチの近所にね。
キンモクセイの木を 2年前に 思い切り切断してしまった場所があって。
モエたんは、その木の根元で、シーシーするのが好きでした^^
アンヨがビッコを引いて歩けなかった時も
抱っこしながらお散歩に連れ出し その木の側で下ろしてあげると
ヒョコヒョコ その木の根元まで行って シーシーしていたくらい
モエたんのお気に入りの 縄張りでした。
そろそろ季節も変わり始めて、風に乗ってキンモクセイの香りがすると
毎日、通って見ているハズの その場所が より一層 愛おしく感じて
淋しさ 倍増ー(T▽T;)
秋・・って ダメですねぇ^^;
たった 3ヶ月前・・ こんなふーに走ってたのにね。
今日。
チィちゃんとこの場所までお散歩して来ました。
ココの手前までは 良く行くんですけどねぇ。
やっぱり この写真を撮った場所に着くと・・
『たった数週間前まで歩いてたのになぁ・・』って。
モエたんの命は、けして あっけなく終わった訳じゃなく
あんなに壮絶な最期だったのに・・
モエたんが旅立った後の時間の流れ方が
何だか あの頃が一瞬で過ぎていったかのように思えてしまいます。
モエたんが お空に昇っていった公園へは まだ行けません・・(ノ△・。)
月命日にでも、行こうか。チィちゃん。
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モエたんが旅立って もう少しで1ヶ月が経とうとしています。
そろそろ落ち着いた?って
ワンコと暮らした事のない人から
思いやりの欠片も感じられない メールが届き
そのたび。
『はぁ?何が?』って 思ってます。笑
そーねー・・
もう それくらい時間が経ってるって事なのかねー。
でもねー。
違うんですよ。

今年の8月。とある日の入浴シーン^m^
お風呂キライなモエたんなので、迷惑そうなお顔してます(笑´艸`)
我が家は 週1回のお風呂だったので、
毎週、チィちゃんをお風呂に入れるたび・・1人居ない事を自覚。
今日まで 3回。
カウントしました・・。
月1回の ママちゃんチョッキン。
毛色のせーか チィちゃんよりも モサコが目立ったモエたん・・
そろそろチョッキンしてあげなきゃ・・って思うコが居ない・・
週に1度。
月に1度・・。
そして これから迎える 年に1度のお誕生日。
1ヶ月。 時が過ぎても
15年近く モエたんと当たり前に過ごしてきた事が出来なくなって
まだ1度もカウントしてない事が たくさんあります。
そんな中、何が落ち着いたかと聞くんだ?・・・('ェ'*)?
全部カウントした 1年後の自分が どんな気持ちで居るかは分かりません。
でも。
いつまでも メソメソ、グチグチ・・って
他人が言うことではありません。
悲しみや 抱えてるものの重さも
ソレが癒えるまでの時間も 癒し方も 全部、人それぞれ。
その人の気持ちが落ち着くまで、いつまででもメソメソしてたらいいじゃない。
それに付き合えなくなったら 見ないフリ。してあげたらいいじゃない。
その人に 喝を入れたくなったら
言えるべき立場の人が 言ってあげたらいい。
悲しい時に、その人の気持ちに寄り添うことのなかった人が
そんな時だけ、グダグダ言うなっ
・・と。
大切なお友達のブログで
とある無神経な人のコメント読んで、1人怒ってました
多分・・今の自分も重なって、
自分が言われた気分で 余計に悔しいんでしょうね・・。

2011.10。 丁度、1年前の湯上りモエたん。
やっぱり 口、曲がってる(笑´艸`)
闘病前だから むっちりボディ^^
ワタシは、このブログで、モエたんの闘病を通して伝えたかったことを書いたら
更新を止めようと思っています。
その過程で、
こんなふーに 想い出を振り返ったり、
気持ちを綴る予定は ありませんでした。^^;
でも。
この場所があって 今、ワタシは本当に 救われています。
どこまで 何を書いたら 気が済むのか分かりません。
今は自分のために ココを更新しています。
いつか 更新されなくなった固定のトップページになるまで
ワタシの想い出話と、時々ためになる話(?)と・・
こっそりでも 覗いてくださる方が居てくれると嬉しいです。

お気に入りの写真楯に、この写真を選びました^^
写真楯ばかり増えて、
なかなか中身を入れてあげられなかったんですけど
最初の1枚に選んだのは コノお顔です^^。
そろそろ落ち着いた?って
ワンコと暮らした事のない人から
思いやりの欠片も感じられない メールが届き
そのたび。
『はぁ?何が?』って 思ってます。笑
そーねー・・
もう それくらい時間が経ってるって事なのかねー。
でもねー。
違うんですよ。
今年の8月。とある日の入浴シーン^m^
お風呂キライなモエたんなので、迷惑そうなお顔してます(笑´艸`)
我が家は 週1回のお風呂だったので、
毎週、チィちゃんをお風呂に入れるたび・・1人居ない事を自覚。
今日まで 3回。
カウントしました・・。
月1回の ママちゃんチョッキン。
毛色のせーか チィちゃんよりも モサコが目立ったモエたん・・
そろそろチョッキンしてあげなきゃ・・って思うコが居ない・・
週に1度。
月に1度・・。
そして これから迎える 年に1度のお誕生日。
1ヶ月。 時が過ぎても
15年近く モエたんと当たり前に過ごしてきた事が出来なくなって
まだ1度もカウントしてない事が たくさんあります。
そんな中、何が落ち着いたかと聞くんだ?・・・('ェ'*)?
全部カウントした 1年後の自分が どんな気持ちで居るかは分かりません。
でも。
いつまでも メソメソ、グチグチ・・って
他人が言うことではありません。
悲しみや 抱えてるものの重さも
ソレが癒えるまでの時間も 癒し方も 全部、人それぞれ。
その人の気持ちが落ち着くまで、いつまででもメソメソしてたらいいじゃない。
それに付き合えなくなったら 見ないフリ。してあげたらいいじゃない。
その人に 喝を入れたくなったら
言えるべき立場の人が 言ってあげたらいい。
悲しい時に、その人の気持ちに寄り添うことのなかった人が
そんな時だけ、グダグダ言うなっ

・・と。
大切なお友達のブログで
とある無神経な人のコメント読んで、1人怒ってました

多分・・今の自分も重なって、
自分が言われた気分で 余計に悔しいんでしょうね・・。
2011.10。 丁度、1年前の湯上りモエたん。
やっぱり 口、曲がってる(笑´艸`)
闘病前だから むっちりボディ^^
ワタシは、このブログで、モエたんの闘病を通して伝えたかったことを書いたら
更新を止めようと思っています。
その過程で、
こんなふーに 想い出を振り返ったり、
気持ちを綴る予定は ありませんでした。^^;
でも。
この場所があって 今、ワタシは本当に 救われています。
どこまで 何を書いたら 気が済むのか分かりません。
今は自分のために ココを更新しています。
いつか 更新されなくなった固定のトップページになるまで
ワタシの想い出話と、時々ためになる話(?)と・・
こっそりでも 覗いてくださる方が居てくれると嬉しいです。
お気に入りの写真楯に、この写真を選びました^^
写真楯ばかり増えて、
なかなか中身を入れてあげられなかったんですけど
最初の1枚に選んだのは コノお顔です^^。
以前、モエたんは DJD(変形性股関節症)という
老齢性変化からくる 脚をビッコひいた時期がありました。
その時に、メタカムと言う鎮痛剤を打ったのですが
後に bun 140オーバー(測定不能) cre 5.7、 と驚異的な数値になり
腎不全末期 → 膵炎の合併症からくるもの。と診断が出ました。
膵炎の診断が出るまでは、メタカムと言う鎮痛剤の影響があったのでは??と
うやむやになった話しがあります。
その日の日記 7/30。
(物凄く長文です。一番下の方に お薬の事が書かれています。)
この時、鎮痛剤を打ったのは、近所の担当医で。
主治医先生から、『うーん・・ いやでも・・』って
何って言うのかな・・この薬の影響もあるけど でも処方を否定しちゃいけない。
でもフォローしきれないような・・。
そんな印象の話があったんですね。
っで。自分で調べた結果。
腎不全のコには使用するのは危険なお薬だと判明。
膵炎の発覚で、その話も飛んでいっちゃってたんですけど。
モエたんが旅立つ直前。
膀胱炎の診断が出た時に、鎮痛剤を使う話が出ました。
診断も治療も 近所の担当医のところで進めてたんですけど
1日に何度も電話で 判断を仰いでいた主治医先生から
ハッキリと言われた言葉・・
『メタカムは単発で使っちゃいけない。』・・って。
あの時、否定しなかったけど、
やっぱりダメなんじゃーん・・il||li (つω-`。)il||li ・・・って思いました。
『モエちゃんには 単発で使いたくない。』
要は腎不全のコには 悪影響が出る可能性がある。
水分と一緒に入れなきゃダメ。
そう仰っていました。
モエたんは結果的に、メタカム云々の病態ではなかったですけど
腎不全持ちのコが、この鎮痛剤を単発で使う危険性をお話したくてupしました。
とは言え・・
信頼している獣医さんに 大丈夫ですか?なんて、念を押すようなコト。
中々言えませんよね・・(´Д`汗)
でも、特にシニアのコは、小さなスイッチが命取りになってしまうので
ツライ思いを ワンコも 飼い主さんも しないよう
この情報が役立ってくれたらな・・と願います。
老齢性変化からくる 脚をビッコひいた時期がありました。
その時に、メタカムと言う鎮痛剤を打ったのですが
後に bun 140オーバー(測定不能) cre 5.7、 と驚異的な数値になり
腎不全末期 → 膵炎の合併症からくるもの。と診断が出ました。
膵炎の診断が出るまでは、メタカムと言う鎮痛剤の影響があったのでは??と
うやむやになった話しがあります。
その日の日記 7/30。
(物凄く長文です。一番下の方に お薬の事が書かれています。)
この時、鎮痛剤を打ったのは、近所の担当医で。
主治医先生から、『うーん・・ いやでも・・』って
何って言うのかな・・この薬の影響もあるけど でも処方を否定しちゃいけない。
でもフォローしきれないような・・。
そんな印象の話があったんですね。
っで。自分で調べた結果。
腎不全のコには使用するのは危険なお薬だと判明。
膵炎の発覚で、その話も飛んでいっちゃってたんですけど。
モエたんが旅立つ直前。
膀胱炎の診断が出た時に、鎮痛剤を使う話が出ました。
診断も治療も 近所の担当医のところで進めてたんですけど
1日に何度も電話で 判断を仰いでいた主治医先生から
ハッキリと言われた言葉・・
『メタカムは単発で使っちゃいけない。』・・って。
あの時、否定しなかったけど、
やっぱりダメなんじゃーん・・il||li (つω-`。)il||li ・・・って思いました。
『モエちゃんには 単発で使いたくない。』
要は腎不全のコには 悪影響が出る可能性がある。
水分と一緒に入れなきゃダメ。
そう仰っていました。
モエたんは結果的に、メタカム云々の病態ではなかったですけど
腎不全持ちのコが、この鎮痛剤を単発で使う危険性をお話したくてupしました。
とは言え・・
信頼している獣医さんに 大丈夫ですか?なんて、念を押すようなコト。
中々言えませんよね・・(´Д`汗)
でも、特にシニアのコは、小さなスイッチが命取りになってしまうので
ツライ思いを ワンコも 飼い主さんも しないよう
この情報が役立ってくれたらな・・と願います。
モエたんが病院で測ってもらった最期の記録として残っているのは
9/7に測った4.32キロ。
翌日の9/8の朝の測定で4.0キロ弱・・と言われたのが 本当の最期の記録。
自分の為に、止した方がいいかな・・って
最期までためらいましたが
モエたんを病院で看取り、連れ帰った晩。
実は、最期の体重測定をしていました。

9/9 最期の測定。 体重3.28キロ。
数字を見た途端。大泣きしました。
今年の2/18 肺水腫か肺炎か定かじゃありませんが発症時、
体重は6キロありました。
診察前は調子も悪く 食欲も無かった状態での6キロなので、
max時はきっと6.2~6.3キロは あったと思います。
筋肉質で、年齢の割りに足腰が立派なモエたんも
発病してから、どんどん どんどん 体重は減り続けました。
最初の頃は、心臓の為にも減量はいい事だと言われていましたが
5キロを切る頃。
気付くのが遅すぎました・・。
モエたんは、栄養を旨く吸収できない身体になっていました。
ご飯の事は、また改めて書かせてもらう事にして・・。
ワンコは たんぱく質 主体で生きています。
腎不全から、その主力になる たんぱく質を制限され
その後、膵炎を発症した事で、今度は低脂肪食を強いられました。
筋肉がそぎ落とされ、今度は脂肪までも取られてしまう食事でした・・。
火葬の時、おじさんに言われた
『病気と闘うために必要な脂肪が 全く無い状態だった・・』 と。
恐らく、歩くパワーも無かったハズなのに
痩せ細った小さな身体で、最期の時まで 本当に一生懸命闘っていた事を
モエたんが旅立った後に、思い知らされました・・。
こんなワタシも 手作りご飯派でした。
このブログを通じて発信したかった事の1つに 手作りご飯もあります。
モエたんとの闘病中に 迷った事や、学んだ事を
ワタシなりに 伝えたいと思うので
もう少し 時間を掛けて まとめたいと思います。
9/7に測った4.32キロ。
翌日の9/8の朝の測定で4.0キロ弱・・と言われたのが 本当の最期の記録。
自分の為に、止した方がいいかな・・って
最期までためらいましたが
モエたんを病院で看取り、連れ帰った晩。
実は、最期の体重測定をしていました。
9/9 最期の測定。 体重3.28キロ。
数字を見た途端。大泣きしました。
今年の2/18 肺水腫か肺炎か定かじゃありませんが発症時、
体重は6キロありました。
診察前は調子も悪く 食欲も無かった状態での6キロなので、
max時はきっと6.2~6.3キロは あったと思います。
筋肉質で、年齢の割りに足腰が立派なモエたんも
発病してから、どんどん どんどん 体重は減り続けました。
最初の頃は、心臓の為にも減量はいい事だと言われていましたが
5キロを切る頃。
気付くのが遅すぎました・・。
モエたんは、栄養を旨く吸収できない身体になっていました。
ご飯の事は、また改めて書かせてもらう事にして・・。
ワンコは たんぱく質 主体で生きています。
腎不全から、その主力になる たんぱく質を制限され
その後、膵炎を発症した事で、今度は低脂肪食を強いられました。
筋肉がそぎ落とされ、今度は脂肪までも取られてしまう食事でした・・。
火葬の時、おじさんに言われた
『病気と闘うために必要な脂肪が 全く無い状態だった・・』 と。
恐らく、歩くパワーも無かったハズなのに
痩せ細った小さな身体で、最期の時まで 本当に一生懸命闘っていた事を
モエたんが旅立った後に、思い知らされました・・。
こんなワタシも 手作りご飯派でした。
このブログを通じて発信したかった事の1つに 手作りご飯もあります。
モエたんとの闘病中に 迷った事や、学んだ事を
ワタシなりに 伝えたいと思うので
もう少し 時間を掛けて まとめたいと思います。
モエたんが・・
チィちゃんが・・・
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HN:
モエたん・チィちゃん。
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女性
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モエ
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