闘病生活205日、14歳と332日で虹の橋へ渡りました。
7ヶ月弱の闘病は、いろんな疾患が重なりとても過酷なものでした。
情報を求めて辿り付いてくれた方のお役に立ちたいと 始めた闘病記でしたが、今は想い出を綴らせて貰っています^^;
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モエたんが旅立ってしまった日の夜・・
PM11:00頃だったと思います。
主治医先生から電話をいただき お悔やみをいただきました。
9月1日。 1週間前の土曜。
主治医先生のところで診察。(9/1の日記)
1週間後に、まさかこんなお別れが待ってるだなんて・・
ワタシは勿論、多分・・先生も予想していなかったと思います。
主治医先生ならば 当然だったのかもしれませんが
この先生だけは いつも 諦めないで 前を見てくれていました。
次から次に 病気を発症するモエたんの身体に向き合ってくれ
病院へ来るサイクルを 1回でも減らしてあげたい。
検査を1回でも 減らしてあげたい。
最後の最後まで、月1回診察を目指してくれていました。
誤診があった 近所の病院へ
再通院を勧めてくれたのも主治医先生でした。
主治医先生のところは 通院時間が1時間以上もかかり
この先。連れて行きたくても行けない。
距離が邪魔になり、時間が勝負となる日が来るから・・と言って
必ず近所に駆け込める病院が必要だと言って
4月から 近所の病院と連携を取って 診てくれたのでした。
先生のところは 基本的に予約診療なので
診療日に体調が悪い事も 何度かありました。
モエたんの旅立ちの前日も、予約日でした。
体調が悪い日に行く時は 必ず、
点滴や注射をして モエたんの負担を
少しでも減らしてあげてから来るよう指示してくれました。
いつも どんな小さな症状でも
たった数時間でも 処置が遅れる事を懸念して
近所の病院へ行く事を勧めてくれました。
いつも モエたんの身体を一番に考えてくれた先生でした。
診察が丁寧で分かりやすく、信頼できる。
その事は勿論ですが、この先生にモエたんを託してこれたのは
モエたん最優先でいてくれたからだと思います。
以前、チラっと漏らしたことがありますが・・
この先生に看取ってもらいたいけど
多分、そんな状態で、先生のところへは連れて行けないだろうなぁ・・って。
その通りになっちゃって。
でも後悔はしていません。
近所のあの病院だったから、
モエたんの魂の抜けてく瞬間を見る事が出来たんだ。って思うしね。
長くなっちゃったけど・・^^;
先生と話した モエたんの最期の診断。
DIC (播種性血管内凝固症候群)
凝固活性化により、血栓が出来、血小板が使い果たされ血が止まらなくなる。
急性膵炎や脱水などが原因になりうる。
重篤な出血症状、血圧低下がみられる。
モエたんは、最期2日間。
主治医先生の指示で、心臓薬も含め 薬は一切飲ませませんでした。
薬を吐いてしまう。と言うこと以前に、血圧の低下が予想されるので
更に血圧を下げてしまうことになりうるから・・と。
血栓による循環不全、出血症状、臓器虚血・・
多臓器不全・・と言われました。
生命維持に必要な複数の臓器の機能が障害された状態のこと。
先生は、最期まで 多臓器不全の言葉を伝え難そうにしてました。
短期間で、いっぱいいっぱい病気した 結末・・。
血が止まらない状態・・ 多臓器不全・・
頑張り抜いたモエたんに 残酷な最期の診断でした。
2月の発病から 本当に短期間で いっぱい病気を発症した モエたん・・
1コ1コの山が 本当に大きくて。
やっと乗り越えたと思っても、体力が快復しないまま
次の山へと立ち向かっていったモエたん・・
流石の 強いモエたんも 体力をちょっとづつ奪われていきました。
若いコでも 1度で命を奪われてしまうような重い病気に
何度も闘って 打ち勝ってきた モエたん。
最期は、高齢ゆえの衰弱・・。
本当に頑張ってくれたと思う。って。
主治医先生は、心臓や腎臓が専門分野なので
膵炎だけは、本当に悔しい思いをするって仰っていました。
モエたんも飲んでいたリビリスターと言う膵炎の治療薬。
ハッキリとした実績のない 動物には、効かない。と言われていたお薬。
膵炎からくる2次的症状を抑えながら、炎症が治まるのを待つ・・
言い換えたら、そのコ達の体力勝負のような病です。
膵炎は繰り返される病だとは聞かされていました。
でも、再発までに早いコでも半年はかかるのに・・何で・・と
再発の可能性が出て来た時に 言っていた先生の言葉が頭に残っています。
でも、もういいんだ・・。
調べたところで モエたんは戻って来ないし。
最期の膀胱炎の診断も・・血尿は血栓が原因で、
もっと早くに何か出来てたら違ったのかも・・
そんな思いがあっても、
病気を診付けてくれたかもしれない主治医先生のところへは
連れて行けない状態だったんだから
そんな可能性を追っても 仕方が無いんだ。
この山を乗り越えられたとしても・・
次に来る山は モエたんにとって もっと苦しいものだった・・
そう思うと、ここで開放させてあげられて良かったんだと。
本当に そう思う。
新たな病気も治療法も、見付からなくて良かったんだと そう思う。
心臓や腎臓という 決定的な疾患ではなく・・
多臓器不全・・って 何か苦しくて
モエたんの最期は・・?って聞かれても
衰弱・・としか言えませんでした。
なんか 今日は苦しくなってきたので この辺で^^;
先生の話も 病気の話も まだ書きたい事があるので また改めて・・
PM11:00頃だったと思います。
主治医先生から電話をいただき お悔やみをいただきました。
9月1日。 1週間前の土曜。
主治医先生のところで診察。(9/1の日記)
1週間後に、まさかこんなお別れが待ってるだなんて・・
ワタシは勿論、多分・・先生も予想していなかったと思います。
主治医先生ならば 当然だったのかもしれませんが
この先生だけは いつも 諦めないで 前を見てくれていました。
次から次に 病気を発症するモエたんの身体に向き合ってくれ
病院へ来るサイクルを 1回でも減らしてあげたい。
検査を1回でも 減らしてあげたい。
最後の最後まで、月1回診察を目指してくれていました。
誤診があった 近所の病院へ
再通院を勧めてくれたのも主治医先生でした。
主治医先生のところは 通院時間が1時間以上もかかり
この先。連れて行きたくても行けない。
距離が邪魔になり、時間が勝負となる日が来るから・・と言って
必ず近所に駆け込める病院が必要だと言って
4月から 近所の病院と連携を取って 診てくれたのでした。
先生のところは 基本的に予約診療なので
診療日に体調が悪い事も 何度かありました。
モエたんの旅立ちの前日も、予約日でした。
体調が悪い日に行く時は 必ず、
点滴や注射をして モエたんの負担を
少しでも減らしてあげてから来るよう指示してくれました。
いつも どんな小さな症状でも
たった数時間でも 処置が遅れる事を懸念して
近所の病院へ行く事を勧めてくれました。
いつも モエたんの身体を一番に考えてくれた先生でした。
診察が丁寧で分かりやすく、信頼できる。
その事は勿論ですが、この先生にモエたんを託してこれたのは
モエたん最優先でいてくれたからだと思います。
以前、チラっと漏らしたことがありますが・・
この先生に看取ってもらいたいけど
多分、そんな状態で、先生のところへは連れて行けないだろうなぁ・・って。
その通りになっちゃって。
でも後悔はしていません。
近所のあの病院だったから、
モエたんの魂の抜けてく瞬間を見る事が出来たんだ。って思うしね。
長くなっちゃったけど・・^^;
先生と話した モエたんの最期の診断。
DIC (播種性血管内凝固症候群)
凝固活性化により、血栓が出来、血小板が使い果たされ血が止まらなくなる。
急性膵炎や脱水などが原因になりうる。
重篤な出血症状、血圧低下がみられる。
モエたんは、最期2日間。
主治医先生の指示で、心臓薬も含め 薬は一切飲ませませんでした。
薬を吐いてしまう。と言うこと以前に、血圧の低下が予想されるので
更に血圧を下げてしまうことになりうるから・・と。
血栓による循環不全、出血症状、臓器虚血・・
多臓器不全・・と言われました。
生命維持に必要な複数の臓器の機能が障害された状態のこと。
先生は、最期まで 多臓器不全の言葉を伝え難そうにしてました。
短期間で、いっぱいいっぱい病気した 結末・・。
血が止まらない状態・・ 多臓器不全・・
頑張り抜いたモエたんに 残酷な最期の診断でした。
2月の発病から 本当に短期間で いっぱい病気を発症した モエたん・・
1コ1コの山が 本当に大きくて。
やっと乗り越えたと思っても、体力が快復しないまま
次の山へと立ち向かっていったモエたん・・
流石の 強いモエたんも 体力をちょっとづつ奪われていきました。
若いコでも 1度で命を奪われてしまうような重い病気に
何度も闘って 打ち勝ってきた モエたん。
最期は、高齢ゆえの衰弱・・。
本当に頑張ってくれたと思う。って。
主治医先生は、心臓や腎臓が専門分野なので
膵炎だけは、本当に悔しい思いをするって仰っていました。
モエたんも飲んでいたリビリスターと言う膵炎の治療薬。
ハッキリとした実績のない 動物には、効かない。と言われていたお薬。
膵炎からくる2次的症状を抑えながら、炎症が治まるのを待つ・・
言い換えたら、そのコ達の体力勝負のような病です。
膵炎は繰り返される病だとは聞かされていました。
でも、再発までに早いコでも半年はかかるのに・・何で・・と
再発の可能性が出て来た時に 言っていた先生の言葉が頭に残っています。
でも、もういいんだ・・。
調べたところで モエたんは戻って来ないし。
最期の膀胱炎の診断も・・血尿は血栓が原因で、
もっと早くに何か出来てたら違ったのかも・・
そんな思いがあっても、
病気を診付けてくれたかもしれない主治医先生のところへは
連れて行けない状態だったんだから
そんな可能性を追っても 仕方が無いんだ。
この山を乗り越えられたとしても・・
次に来る山は モエたんにとって もっと苦しいものだった・・
そう思うと、ここで開放させてあげられて良かったんだと。
本当に そう思う。
新たな病気も治療法も、見付からなくて良かったんだと そう思う。
心臓や腎臓という 決定的な疾患ではなく・・
多臓器不全・・って 何か苦しくて
モエたんの最期は・・?って聞かれても
衰弱・・としか言えませんでした。
なんか 今日は苦しくなってきたので この辺で^^;
先生の話も 病気の話も まだ書きたい事があるので また改めて・・
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モエたんが旅立つ 3週間前。
モエたんの闘病を ずっと一緒に見守ってくれてきたルルママさん家のラッちゃんが
お骨になった時の 大切な話を 聞かせてくれました。
こんなに早く その日が来るとは思ってなかったけど
同じ人に お願いしたいな・・ って
そう感じられた人に モエたんの火葬もお願いする事が出来ました。
我が家は賃貸マンションなので
ルルママさん家のように ガレージもないし・・
あんなふーには見送ってはあげられないのかなって思ってたから
本当に嬉しかったなぁ。
火葬している間も ずっとお釜の中を 見届けてくれて
焼け方で その身体が闘ってきた過程を
ちゃんっと看取ってくれる人でした。
お迎えに来てくれた時。
モエたんの寝顔を見て 最期は苦しまずに逝けたんだねぇ・・
そんなふーに 言ってくれてたおじさんも
火葬を終えて
寝顔からは想像も出来ないほど、壮絶な闘いだったんだね。って
凄く がんばったんだね。ってそう言ってくれました。
最期は、血が止まらない状態だったから・・
お骨にも、血の跡が かすかに残って居ました。
最期まで点滴をしていたので、お薬が残ってしまってた部分もあったけど
お骨のほとんどに、薬にやられた跡は無かった・・。
痴呆があったのかな?って聞かれて
原因不明の てんかんはあったと言うと その影響かなぁ?って
察する部分もありました。
そして・・
内臓が 他のコよりも20~30分長くかかったから
もう いっぱいいっぱいだったんだねぇ・・って教えてくれました。
2月に発病してから、どんどん どんどん痩せ細ってしまった モエたん。
脂肪が ほとんど無い状態だったと・・。
病気と闘う為の脂肪が 全く無くなってしまって居たって。
ワタシの前で見せた 苦しかった姿以上に
モエたんの身体の中は 苦しかったんだ・・
モエたんが堪えた痛みや苦しみを 最期に分かってくれる人が居て
最期に聞いてあげることが出来て 本当に良かった。
本当に 本当に がんばったね。
そして 最期のお姉ぃたん孝行。
モエたんの犬歯4本・・
1本も欠ける事なく 立派なまま残してくれました。

見たくない人も居るのに お写真 載せちゃって ごめんね・・。
こんな状態で残ってくれる事は 珍しく 凄い事なんだよ。って。
犬歯が残らなくて、尻尾のお骨を 形見として 持つ人がほとんどなのに
モエたんは、ワタシに立派な犬歯(形見)を残してくれました。

モエたんの犬歯が入ったカプセル。
あまりに立派な犬歯なので、4本入るかな?って言われたほど^m^
えへへ~
また モエたん自慢。 1コ 増えた~
モエたん。 ありがとう^^
モエたんの闘病を ずっと一緒に見守ってくれてきたルルママさん家のラッちゃんが
お骨になった時の 大切な話を 聞かせてくれました。
こんなに早く その日が来るとは思ってなかったけど
同じ人に お願いしたいな・・ って
そう感じられた人に モエたんの火葬もお願いする事が出来ました。
我が家は賃貸マンションなので
ルルママさん家のように ガレージもないし・・
あんなふーには見送ってはあげられないのかなって思ってたから
本当に嬉しかったなぁ。
火葬している間も ずっとお釜の中を 見届けてくれて
焼け方で その身体が闘ってきた過程を
ちゃんっと看取ってくれる人でした。
お迎えに来てくれた時。
モエたんの寝顔を見て 最期は苦しまずに逝けたんだねぇ・・
そんなふーに 言ってくれてたおじさんも
火葬を終えて
寝顔からは想像も出来ないほど、壮絶な闘いだったんだね。って
凄く がんばったんだね。ってそう言ってくれました。
最期は、血が止まらない状態だったから・・
お骨にも、血の跡が かすかに残って居ました。
最期まで点滴をしていたので、お薬が残ってしまってた部分もあったけど
お骨のほとんどに、薬にやられた跡は無かった・・。
痴呆があったのかな?って聞かれて
原因不明の てんかんはあったと言うと その影響かなぁ?って
察する部分もありました。
そして・・
内臓が 他のコよりも20~30分長くかかったから
もう いっぱいいっぱいだったんだねぇ・・って教えてくれました。
2月に発病してから、どんどん どんどん痩せ細ってしまった モエたん。
脂肪が ほとんど無い状態だったと・・。
病気と闘う為の脂肪が 全く無くなってしまって居たって。
ワタシの前で見せた 苦しかった姿以上に
モエたんの身体の中は 苦しかったんだ・・
モエたんが堪えた痛みや苦しみを 最期に分かってくれる人が居て
最期に聞いてあげることが出来て 本当に良かった。
本当に 本当に がんばったね。
そして 最期のお姉ぃたん孝行。
モエたんの犬歯4本・・
1本も欠ける事なく 立派なまま残してくれました。
見たくない人も居るのに お写真 載せちゃって ごめんね・・。
こんな状態で残ってくれる事は 珍しく 凄い事なんだよ。って。
犬歯が残らなくて、尻尾のお骨を 形見として 持つ人がほとんどなのに
モエたんは、ワタシに立派な犬歯(形見)を残してくれました。
モエたんの犬歯が入ったカプセル。
あまりに立派な犬歯なので、4本入るかな?って言われたほど^m^
えへへ~
また モエたん自慢。 1コ 増えた~
モエたん。 ありがとう^^
モエたんが旅立って 1週間が経ちました。

モエたんの旅立ちに合わせて 本当にたくさんのお花をいただきました。
せっかく アレンジメントで 贈っていただいたんですけど
モエたんの旅立ちの時、
少しずつ拝借させてもらって モエたんの横に飾らせて いただきました。
モエたんを可愛く飾ってくれて ありがとう・・。

お花が少しずつ枯れ始めても 毎日 毎日 ちょっとずつお花が届いて
1週間経った今も、モエたんの横には お花がいっぱいです^^

今日もお花が届きました。
モエたんと 何度もお出掛けして 一緒に遊んでくれた まいまいから^^
お悔やみとお花。ありがとネ。
この1週間の事や、今の気持ちを表現するには
まだまだ時間が掛かるんですけど
モエたんの闘いを 何とかこの日までにupしてあげたかった。
右のカレンダーを見ていただくと分かるんですけど
更新出来なかった空白の7日の日。
更新が追いつかないほど、みるみる悪化していき
upしてあげる前に モエたんは最期の闘いを終えてしまいました。
最期の闘いは みなさんにとって、見るに耐えない画像や
苦しくなるような日記になてしまっていると思います。
モエたんを想って 掛けていただいた優しい言葉や、お悔やみの中で
モエたん がんばったネ!!
モエたん 偉かったネ!!
・・そう言ってもらえた言葉が 一番嬉しくて。
どんなに苦しく、ツライ状態でも いつでもワタシを想ってくれていたモエたん。
ケナゲすぎた そのモエたんの闘いを
最期まで しっかり綴ってあげたくて。
なんか・・上手く表現出来ませんが
モエたん・・辛かったのぉーって事じゃなく、
モエたん こんなに頑張ったの!!って ウチのコ自慢かな。
モエたんの最期の闘いを 見届けてくださる方だけ・・
↓をクリックして 見てあげてください☆彡 *.:*:.。.: (人 *)
9月7日(金)
■急遽、病院へ。
■1日2回も診察。
■最悪な夜。
9月8日(土)
■半日入院。
■退院・最期の夜。
■最期の夜・続き。
9月9日(日)
■最期の時。
■ただいま。
闘いを終えた 穏やかなモエたんを、闘病記以上に見て欲しいんですけど・・
少し時間を掛けて、大切に綴りたいと思います。

mさんから いただいたプリザーブドフラワー。
ブーケみたいで カワイイ・・^^
モエたんのために ありがとう。
旅立ちの時のモエたんは 後日、upしますので
時々覗いていただけると嬉しいです。
モエたんのために
本当に たくさんのお花と お悔やみを ありがとうございました。
くみちょん。
モエたんの旅立ちに合わせて 本当にたくさんのお花をいただきました。
せっかく アレンジメントで 贈っていただいたんですけど
モエたんの旅立ちの時、
少しずつ拝借させてもらって モエたんの横に飾らせて いただきました。
モエたんを可愛く飾ってくれて ありがとう・・。
お花が少しずつ枯れ始めても 毎日 毎日 ちょっとずつお花が届いて
1週間経った今も、モエたんの横には お花がいっぱいです^^
今日もお花が届きました。
モエたんと 何度もお出掛けして 一緒に遊んでくれた まいまいから^^
お悔やみとお花。ありがとネ。
この1週間の事や、今の気持ちを表現するには
まだまだ時間が掛かるんですけど
モエたんの闘いを 何とかこの日までにupしてあげたかった。
右のカレンダーを見ていただくと分かるんですけど
更新出来なかった空白の7日の日。
更新が追いつかないほど、みるみる悪化していき
upしてあげる前に モエたんは最期の闘いを終えてしまいました。
最期の闘いは みなさんにとって、見るに耐えない画像や
苦しくなるような日記になてしまっていると思います。
モエたんを想って 掛けていただいた優しい言葉や、お悔やみの中で
モエたん がんばったネ!!
モエたん 偉かったネ!!
・・そう言ってもらえた言葉が 一番嬉しくて。
どんなに苦しく、ツライ状態でも いつでもワタシを想ってくれていたモエたん。
ケナゲすぎた そのモエたんの闘いを
最期まで しっかり綴ってあげたくて。
なんか・・上手く表現出来ませんが
モエたん・・辛かったのぉーって事じゃなく、
モエたん こんなに頑張ったの!!って ウチのコ自慢かな。
モエたんの最期の闘いを 見届けてくださる方だけ・・
↓をクリックして 見てあげてください☆彡 *.:*:.。.: (人 *)
9月7日(金)
■急遽、病院へ。
■1日2回も診察。
■最悪な夜。
9月8日(土)
■半日入院。
■退院・最期の夜。
■最期の夜・続き。
9月9日(日)
■最期の時。
■ただいま。
闘いを終えた 穏やかなモエたんを、闘病記以上に見て欲しいんですけど・・
少し時間を掛けて、大切に綴りたいと思います。
mさんから いただいたプリザーブドフラワー。
ブーケみたいで カワイイ・・^^
モエたんのために ありがとう。
旅立ちの時のモエたんは 後日、upしますので
時々覗いていただけると嬉しいです。
モエたんのために
本当に たくさんのお花と お悔やみを ありがとうございました。
くみちょん。
モエたんに 温かいお言葉やお悔やみ、素敵なお花。
本当にありがとうございました。

今、遅れながらも最期の日までの闘病記を書いています。
壮絶な2日間を振り返っているので
写真を整理したり、打ち込んだ自分の言葉に涙してしまい
中々進まないんですけどネ・・^^;
でも
モエたんが闘った日々を、
モエたんの苦しみを 綴ることで
モエたん がんばったんだね。って言ってもらえることが
そーなの。モエたん がんばったの。って
モエたん イイコだったの。って
モエたん みんな 分かってくれてたよ。って
自分の幸せよりも お姉ぃたん孝行に ワン生を費やしてくれたモエたんに
言ってあげたいから みなさんにとって ツライ話や画像になっても
ワタシはココに 残してあげたいと思っています。
数日後・・一気にupさせていただきますね。
良かったら 覗いてあげてください^^
写真は、旅立ちの日の写真です。
たくさんのお花に囲まれて とても優しい顔していました^^
あまりに可愛くて、色んな方に写メしちゃって ごめんなさい^^;
くみちょんより。
本当にありがとうございました。
今、遅れながらも最期の日までの闘病記を書いています。
壮絶な2日間を振り返っているので
写真を整理したり、打ち込んだ自分の言葉に涙してしまい
中々進まないんですけどネ・・^^;
でも
モエたんが闘った日々を、
モエたんの苦しみを 綴ることで
モエたん がんばったんだね。って言ってもらえることが
そーなの。モエたん がんばったの。って
モエたん イイコだったの。って
モエたん みんな 分かってくれてたよ。って
自分の幸せよりも お姉ぃたん孝行に ワン生を費やしてくれたモエたんに
言ってあげたいから みなさんにとって ツライ話や画像になっても
ワタシはココに 残してあげたいと思っています。
数日後・・一気にupさせていただきますね。
良かったら 覗いてあげてください^^
写真は、旅立ちの日の写真です。
たくさんのお花に囲まれて とても優しい顔していました^^
あまりに可愛くて、色んな方に写メしちゃって ごめんなさい^^;
くみちょんより。
モエたんが・・
チィちゃんが・・・
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モエたん・チィちゃん。
性別:
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モエ
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